ハインリヒ9世・ロイス・ツー・ケストリッツ (1827-1898)
ハインリヒ9世・ロイス・ツー・ケストリッツ(Heinrich IX. Prinz Reuß zu Köstritz, 1827年3月3日 ノイホーフ - 1898年9月1日 ノイホーフ)は、ドイツの貴族・行政官・軍人。
ロイス=ケストリッツ侯子ハインリヒ74世とその最初の妻の伯爵令嬢クレメンティーネ・フォン・ライヒェンバッハ=ゴシュッツ(1805年 - 1849年)の間の第2子、長男。ニエスキーの中等教育学校で学び、ボン大学に進んだ。1849年ボルシア・ボン友愛会の会員となる[1]。イェンケンドルフ及びノイホーフの領主であり、1874年から1894年までヒルシュベルク・イム・リーゼンゲビルゲ郡の郡長を務めた。プロイセン陸軍士官でもあり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン蜂起、ドイツ=デンマーク戦争、ドイツ戦争、ドイツ=フランス戦争に従軍し、最終的に(名誉的な)陸軍少将に至った。1879年から1882年までリーグニッツ7区(ヒルシュベルク、シェーナウ)選出のプロイセン衆議院議員を務めた。保守党に所属した。またシュレージエン州議会議員でもあった。
1852年5月12日、ツュルツェンドルフ(Zülzendorf)で男爵令嬢アンナ・フォン・ツェトリッツ・ウント・ライペ(1829年 - 1907年)と結婚し、7人の子をもうけた。
- ハインリヒ21世(1853年 - 1856年)
- ハインリヒ22世(1854年 - 1858年)
- ハインリヒ23世(1855年 - 1886年)
- ハインリヒ26世(1857年 - 1913年) - 1885年伯爵令嬢ヴィクトリア・フォン・フュルステンシュタインと結婚
- マリー・クレメンティーネ・イェニー・アンナ(1860年 - 1914年) - 1883年ハインリヒ・フォン・ヴィッツレーベン伯爵と結婚
- ハインリヒ29世(1862年 - 1892年)
- ハインリヒ30世(1864年 - 1939年) - 1898年ザクセン=マイニンゲン公女フェオドラと結婚
四男ハインリヒ26世は相続を辞退し、子孫は1887年プラウエン伯爵(Graf/Gräfin von Plauen)と改姓し、序数のナンバリングから外れた。しかし最年長の男子ハインリヒ・ハリー(1890年 - 1951年)は1927年叔父ハインリヒ30世の養子となり、ロイス侯子の姓に復帰している。彼の孫ハインリヒ・ルッツォ(1950年 - 1999年)はアンニ=フリッド・リングスタッドの夫となった。
末息子ハインリヒ30世が所領を継ぎ、ノイホーフ城最後の城主となった。
参考文献
[編集]- Friedrich Karl Devens: Biographisches Corpsalbum der Borussia zu Bonn 1827–1902. Düsseldorf, 1902, S. 130.
- G. G. Winkel: Biographisches Corpsalbum der Borussia zu Bonn 1821–1928. Aschaffenburg 1928, S. 121.
- Bernhard Mann: Biographisches Handbuch für das Preußische Abgeordnetenhaus 1867–1918 (= Handbücher zur Geschichte des Parlamentarismus und der Politischen Parteien. Band 3). Droste, Düsseldorf 1988, ISBN 3-7700-5146-7, S. 318.
引用
[編集]- ^ Kösener Korpslisten 1910, 19, 274